エジプトの女王クレオパトラは、亡くなってから2000年以上が経った現在でも歴史上最も魅力的で記憶に残る女性の1人です。しかしこの偉大な女王の人生とは、実際にどのようなものであったのかはあまり知られていません。ここでは、クレオパトラに関する10個のほとんど知られていない興味深い事実を紹介していきます。

女王クレオパトラの知られざる10の真実

エジプトのプトレマイオス朝、最後の女王であったクレオパトラ7世。彼女の美貌や数々のロマンス、そして死の逸話や伝説は謎に包まれた部分も多く数々の歴史学者たちが解明へと好奇心につき動かされ歴史の真実を紐解いてきました。今回は、そんな魅力ある彼女の知られざる10の真実を紹介します。

1.クレオパトラはエジプト人ではありません。




クレオパトラはエジプト人ではありません。

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女王クレオパトラはエジプトで生まれましたが、その家系はマケドニア出身のギリシャ人です。アレキサンダー大王(古代マケドニアの王であり、マケドニアからエジプト、ギリシャ、ペルシャ、インドの一部と広大な領域に帝国を築いた歴史上最も有名な統治者の一人)の将軍の一人であったプトレマイオス1世ソテルに遡ります。

紀元前323年にアレキサンダー大王が亡くなった後、プトレマイオス1世ソテルはエジプトを統治し、約3世紀にわたってエジプトにギリシャ語を話す支配者のプトレマイオス王朝を立ち上げました。クレオパトラはプトレマイオスの子孫として生まれました。

「クレオパトラ」(ギリシャ語で「Κλεοπάτρα」)という名前は、“栄光の父から生まれた者 “という意味です。クレオパトラは母国語であるギリシャ語に加えて、エジプト語を話したプトレマイオス王朝の唯一の支配者でした。

2.エジプトには歴代多くのクレオパトラ女王がいました。


エジプトには歴代多くの
クレオパトラ女王がいました。

エジプトには歴代多くのクレオパトラという名前の女王達がいました。その中で一番有名であるのがエジプト王朝最後の女王クレオパトラ7世です。よって言わずと知れた世界三大美女の1人として歴史的にも映画でも名を残すエジプトの女王とはクレオパトラ7世のことです。今回このページで紹介している女王とはクレオパトラ7世についてを紹介しています。

クレオパトラ7世は、プトレマイオス朝の支配者の中で初めてエジプト語での会話と読み書きを覚えた人物です。300年間、彼女の家族はギリシャ語しか話さなかったので、ロゼッタストーンをはじめとする裁判所の文書は、ギリシャ語とエジプト語の2ヶ国語で書かれていました。つまり、その統治300年の間、エジプト人を支配していた人物とは、エジプト人の母国語を話すことすらできなかったのです。

3.クレオパトラの有名な黒いアイラインは化粧のためではありませんでした。




黒いアイラインは化粧のため
ではありませんでした。

Flickr、Prayitno

クレオパトラの太いアイラインメイクは顔を美しく引き立たせるためではなく、第一に健康のためのものでした。当時よく見られた目の感染症を避けるためだったのです。クレオパトラのアイメイクにはコール(kohl:硫化鉛の粉末と動物性脂肪を混ぜた黒いアイシャドー)を使用していました。その中には、当時非常に一般的だった感染症による病気の発生を防ぐ物質が含まれていました。

また当時のコールには鉛が含まれているため、現代ではその鉛の毒性が懸念され健康への効果の信ぴょう性は影を潜めていました。しかし2010年にニュースになったある生物医学研究では、エジプトの墓から発見された様々なサンプルを分析し古代のコールのレシピを再現することで、科学者たちはこれらの鉛化合物が皮膚細胞に与える影響をテストしました。

その結果は驚くべきことに、これらの鉛化合物は、鉛中毒を引き起こすのではなく、非特異的な免疫防御を刺激する一酸化窒素(NOo)の過剰生産を引き起こしました。この研究データは、当時コールを毎日メイクすると免疫細胞の自発的な反応により、エジプト人の目が細菌感染に対してほぼ即座に耐性を得られたことを示唆していました。

4.女王クレオパトラは美人ではありませんでした。


女王クレオパトラは
美人ではありませんでした。

クレオパトラ7世: 紀元前1世紀。

哲学者のプルタルクによると、クレオパトラは映画でよく描かれるような傑出した美貌を持っていた女性ではありませんでした。様々なクレオパトラの彫刻や古代のコインに描かれた彼女の像を研究した結果、科学者たちは彼女が大きな鼻、やや狭い唇、鋭い顎を持っていたという結論に達しました。

彼女の身長は5フィート(152.4センチ)で、今日の美の基準によれば、ふっくらとしていました。

女王クレオパトラは美の象徴とされていましたが、その理由のほとんどは、私たちが彼女を映画女優のエリザベス・テイラーとして想像しているからのようです。

5.12言語を操る女王クレオパトラ


頭脳明晰な女王クレオパトラ

彼女は外見よりもその知性で有名だったのかもしれません。彼女は12もの言語を話し、数学、哲学、弁論術、天文学の教育を受けていました。後にエジプトの資料では、彼女を 「学者らの地位を高め、彼らとの交友を楽しんでいた支配者」だと表現しています。

アラブの歴史家アル・マスディ(896-956CE)は、クレオパトラを賢者、哲学者と表現し、また、彼女は医学、魔術、化粧品に関する多くの書物を執筆したと主張しています。彼女が書いた『化粧品』という本では、抜け毛やフケの治療法を提案していたとのことです。

6.クレオパトラは生涯を通じて3回の結婚をしました。


クレオパトラは生涯を通じて3回の結婚をしました。最初の夫はプトレマイオス13世テオス・フィロパトル。2番目の夫はプトレマイオス14世。3番目の夫はマーク・アントニーです。クレオパトラの最初2回の結婚相手は、彼女の弟たちでした。

クレオパトラは、カエサル(ジュリアス・シーザー)とは愛人関係であり、彼との間に1人、マーク・アントニーとの間に3人、計4人の子供がいました。

エジプトの女王クレオパトラは自分の軍隊を指揮し、1人ではなく2人のローマの支配者を魅了し、無数の芸術、文学、映画の作品に影響を与えました。支配者としての彼女の腕前は彼女を伝説のものに仕立て上げ、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)とマーク・アントニーとの彼女のロマンス物語は彼女を不滅のものにしました。

7.クレオパトラとユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)との年齢差は31歳でした。


ローマ軍がエジプトへ侵攻してきた後、クレオパトラはカエサル(ジュリアス・シーザー)に会うために巧妙な計画を立てました。二人が出会うと、火花が飛び散り、すぐに恋人同士になりました。当時、カエサルは52歳、クレオパトラは21歳でした。出会いの逸話として、クレオパトラは自身を絨毯にくるませて贈り物としてカエサルの元に届けさせたという話は有名です。

クレオパトラとカエサル(ジュリアス・シーザー)は、31歳の年齢差にもかかわらず、2年間の愛を育みました。紀元前47年、クレオパトラは彼の息子プトレマイオス・カエサルを出産し、カエサリオン(小さなカエサル)という愛称で親しまれました。

8.女王クレオパトラはスキンケアや初期の化粧品技術を習得していました。




スキンケアや初期の化粧品技術を
習得していました。

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クレオパトラや古代エジプト人は、初期のマニキュアとしてヘナを使用していました。今日、ヘナは特に中東やアジアで、手や腕、顔などに装飾的、儀式的に使用されることでよく知られています。ヘナは指の爪を染めるために使われ、また爪を整えて保護するためにも使われました。

また彼女は天然のローズウォーターの癒しと美しさの大ファンでした。クレオパトラは、定期的にローズウォーターで顔や体を洗っていたそうです。天然のローズ・ウォーターは、彼女の美の秘訣のひとつだったのです。シェイクスピアも著書『アントニーとクレオパトラ』の中で、クレオパトラがローズウォーターを愛用していたことを書いています。

クレオパトラの優れた才気は、すぐに手に入る自然の産物をいかに活用したかにあります。エジプト人は、スキンケアや初期の化粧品の技術を習得しており、クレオパトラはこうして美の女王としての地位も歴史に刻んだのです。

9.女王クレオパトラは香術師でした。


女王クレオパトラは香術師でした。

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クレオパトラは香りの持つ魔力を十分に心得ていました。彼女はマーク・アントニーを誘惑するために香りを利用したと言われています。彼女の寝室の床にはバラの花が散りばめられており、ある歴史学者によれば、その部屋は足首までバラの花びらで埋もれていたと言われています。クレオパトラはローズの香りが好きであった可能性があります。

さらに伝説によれば、彼女は出航前に船の帆に香りのよいオイルを塗っていたという。「香りは船から海岸まで拡散し、海岸は大勢の人で覆われていた」。 彼女の考えは、マーク・アントニーが彼女の姿を目にする前に、彼女が到着したことを匂わせるというものでした。

10.彼女の死因は蛇に噛まれたからではありません。


彼女の死因は蛇に
噛まれたからではありません。

女王クレオパトラが紀元前30年に亡くなったとき彼女は39歳でした。多くの人は、クレオパトラは絶望的な状況に直面して、左の胸に毒蛇(コブラ)を抱きしめ自殺したと考えています。しかし、コブラの毒は麻痺や痙攣、激しい痛みを引き起こすのに対し、彼女の死は穏やかで痛みを伴わない即死であったと研究者は述べています。

彼女はいつも毒を染み込ませた髪をとかす櫛を持っていたとも言われていたので、それが彼女の死因だったのかもしれません。また、彼女はアウグストゥスの命令で毒殺されたとも考えられており、コブラの毒による自殺説は殺人を隠蔽するためのフィクションであるとも考えられれいます。

ある古代の歴史家、ストラボンが示唆するには彼女は致命的なハーブ調合を飲んだか、有毒な軟膏を塗った可能性が高いとも述べてい ます。これらいずれかは、ヘビに噛まれた場合よりも迅速かつ効果的に彼女(および彼女の使用人)を毒殺へと導いた可能性があるとのことです。

またドイツの歴史家は、クレオパトラが古代文書の研究と毒物学者との研究に基づいて、ヘムロック、トリカブト、アヘンの致命的な毒薬の混合物を摂取した可能性があることを示唆しました。

【女王クレオパトラのおすすめ映画と本の紹介】


女王クレオパトラのおすすめ映画と本の紹介


エジプト帝国とローマ帝国を結びつけた彼女のロマンスと歴史は人々の心をとらえ、今日も私たちを魅了し続けています。女王クレオパトラは非常に人気があり、映画撮影の歴史を通しても彼女について多くの映画作品が作られました。これまでで最も人気のあるクレオパトラ映画のいくつか紹介します。

映画

1.クレオパトラ(1963)

クレオパトラ (字幕版)

ジャンル: 伝記、ドラマ、歴史、恋愛
国: スイス、英国、米国
所要時間: 192分。

エリザベステイラーを主演女優とする、これまでで最も有名なクレオパトラ映画です。リチャード・バートンはマーク・アントニーを演じ、レックス・ハリソンはジュリアス・シーザーでした。映画の長さは3時間以上で、9つのノミネートのうち4つのオスカーがあり、非常に好評でした。

2.アントニーとクレオパトラ(1972)

アントニーとクレオパトラ HDリマスター版 [DVD]

ジャンル: ドラマ、歴史
国: 英国、スペイン、スイス
所要時間: 160分。

シェイクスピアの著書「アントニーとクレオパトラ」を映画化したもので、原作の舞台劇に壮大な映像表現を試みた歴史ドラマです。マーク・アントニーは、結婚していたエジプトの女王クレオパトラ(ヒルデガルド・ニール)との関係を維持しながらローマを支配しようとしていた。ローマの共同指導者の妹との結婚を迫られたアントニーは、やがて戦争へと発展していく。

3.ミッション・クレオパトラ(2002)

ミッション クレオパトラ [DVD]

フランスの人気漫画を原作としている痛快コメディです。古代エジプトの女王クレオパトラに無理難題を押しつけられた人々の葛藤を描きます。この映画は、 2000年代初頭の非常に多くの著名なフランスのコメディアン俳優とコメディアンを主演させ、クリスチャンクラヴィエとジェラールドパルデューがそれぞれアステリックスとオベリックスとしての役割を演じました。また、モニカ・ベルッチをクレオパトラとして主演させました。

またクレオパトラについてはたくさんの本も書かれており、シェイクスピアの 著書『アントニーとクレオパトラ』 は、エジプトの女王クレオパトラをフィーチャーした最も有名な文芸作品の1つです。

アントニーとクレオパトラ (新潮文庫)

おわりに


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クレオパトラに想定されるその多くの事実とは真の美しさと知性であり、そのすばらしい魅力をつかうことは彼女が望んでいることを達成するための能力に関連しています。この驚くべき女王と、彼女と同時代の人々が生きた複雑で現実的な時代について、今回、私たちがもっと知るきっかけになれば素晴らしいことだと思います。